帰国生のみが在籍する東京学芸大学附属高校大泉校舎
1996年
Creating Processの歴史はここから始まります。
塾長三原が帰国生たちと過ごした大泉校舎での8年目、後期の高校2年古文のクラスに
杉山大輔という勢いのよい男子生徒がいました。「三原先生の授業はいい!」という
先輩たちの評判どおり、N.Y.で13年を暮らし、古文にはアレルギーに近いものさえある
杉山にも実によくわかる、やる気になる楽しい古文の授業でした。
「わかる!先生の授業、すごくよくわかる!」授業中に思わず杉山は叫びました。
それから一生懸命勉強するようになり、古文では瞬く間に男子一番になり、
他の科目の成績もぐんぐん上がり、先生方はその変化に大変驚きました。
高3の夏、杉山は慶應に入りたい一心で、SFCのAO対策指導を三原に頼みました。
担任でもない三原は面倒がって逃げ回りましが、その熱意にほだされ指導を始めました。
日本語の文章などまともに書いたことのない杉山の原稿は、毎回真っ赤に添削されましたが
、杉山は大変な勢いでそれを何度も何度も一から書き直し、三原もその勢いに負けまいと、
夜も自宅にFAXしてくる原稿をすぐに見ては返すという猛烈なやり取りが続き、
ついに出願書類や業績資料集が出来上がりました。杉山にとっては、
17年の人生を振り返り今後の生き方を考える貴重な時間になりました。
1次合格発表前から始めた面接対策も功を奏し、念願の慶應SFCに合格。
杉山にとっても三原にとっても、得るものの多い、中身の詰まった時間でした。
Creating Process創業
1999年
その指導の中で三原は、「慶應ビジネススクール(KBS)」という社会人対象の経営大学院の存在に気づきました。三原は常々、帰国高校生のアイデンティティや学習を支え、また国語や小論で苦労している一般高校生を極少人数で手厚く指導する、帰国子女教育の方法を応用した独自の教室が持ちたいと思っていました。
「ゆとり教育」で学校教育にかげりが見え、大泉校舎も中学との統合が決まりかけた時期の98年秋、三原はKBSを受験し合格。生徒たちとの辛い別れを越え、翌春、大不況の嵐が吹き荒れる中、41歳で文部教官教諭を辞め、KBSに入学。ほぼ同時に教室の立ち上げを考え始めました。
一方、SFCに入学した杉山は、他人がしないようなことをしたいと考えていました。1999年6月、三原の起業に際し、大学生活との二束わらじでその支援に乗り出しました。入会者は増え、三原は業務専従のため秋にKBSを中退。杉山は三原の指導に則り英語講師を務めました。10ヵ月後、Creating Processは法人化。三原の先輩や後輩、教職時代の教え子、その後は出身会員が講師を志願し、三原は教壇に立つ傍ら講師の育成にあたり、自らが培った指導法を直接伝授しています。
さて今日もCreating Processの教室では、生徒と講師の熱心な学びが続いています。